ピア★放課後へようこそ!

もう外は暑く、僕たちはファミリーレストランで会うことにした。この時期にはどの時間だっていつも混んでいる。→ドリンク一杯でも十分喋られるけど、今日はセットメニューで。これは ファミレスで交わした会話の記録である。

1。

2014年ツイッターで福士千裕の絵を初めて目にした。福士千裕は日本の「インターネット以降の流れ」を代表する美術団体、「カオス*ラウンジ」の展示に参加するなど、活発な活動を続けてきている漫画家だ。インターネット上の混種的交流が日常になり、その流れが日本の現代美術にも影響されて美術展示活動にも参加されている。僕は彼女の名前を検索、上がっているリンクをたくさんメモして置いた。

僕は2015年の展示「ダンジョン(던전、Dungeons)」を共同企画する過程で、熱心だったキム・ドンヒ(김동희)、キム・ジョンテ(김정태)、イ・スキョン(이수경)、ハン・ジン(한진)と共に三回の展示と一度の出版記念会という地獄体験を自ら企画した。この時僕たちは三回の展示が全て終わったらこの地獄体験への補償として一緒に大阪へ旅行に行こうと約束した。一民美術館の展示「ニュースキン(뉴스킨、New Skin)」(Ilmin Museum of Arts、2015)の設置全般を任されていたキム・ドンヒが約束を守れなかったが、彼以外の全員が日本行きのピーチ航空に乗った。展示「던전ダンジョンDungeons」の最初に、僕たちはお互いの作品について学部時期のイメージから一つずつ丁寧に見せ合った。お互いを知り合っていく過程だった。ハン・ジン作家の作品を2008年度から年代順に見ていると、僕は福士千裕の作品を同時に思い浮かべた。福士千裕についても、ハン・ジンについてももっと知りたい気持ちになった。誰が誰かをマネしたような「パクリ」の話ではなかった。レッドベルベットRED VELVETのデビューMVを初めて見た時のようにメンバー各自の類似性の中で違いを見つけていけるところが楽しいと思った。二人は90年代後半〜00年代初期のゲーム、漫画などのサブカルチャーイメージに影響されながら制作を続けてきていて、その点は同時代を生きている僕にとってとても興味深かった。

@Kil jagi もうペッチャンコになった時空間の中でこの人たちは何をしているのだ。

上で話した日本旅行で大阪市北区にある独立書店<シカク>に訪ね、福士千裕の漫画を二冊購入することができた。「せんねんとせんえん」(2012)、「フードコートに4649」(2014)。どれも約100ページで厚みのある漫画だ。これをゆっくりと読みながら楽しむ時間とハン・ジン作家が活発に活動した2015年の時間が並列的に過ぎていった。そのためピア★放課後第一回目の展示は、最初ハン・ジンと福士千裕の二人展の形で企画されていた。しかし残念ながら、展示直前にハン・ジン作家からメールが一通届いた。個人的な事情で展示の参加が難しいというメールだった。展示の準備がかなり進んでいたため、このことを福士千裕に知らせたが、嬉しいことに彼女はそれでも構わないと言ってくれた。その配慮のおかげで展示は予定通りに進めることができた。

企画の初期、二人の作家にピア★放課後は仮想の2.5D展示フラットホームであることを説明した。最初の展示の場合、まず仮想の空間を設定し、その空間を現実に具現する方式でどこかに設置する形の計画であるという内容であった。環境によって限りなく狭くもなり、可能ならいくらでも広くなれる展示空間。そうでありながら比例はそのまま保つ空間を想像した。とりあえず展示は現実どこかの通路に寄生させておいて、お互い会話を交わして行こうと思った。今の僕自身がイメージを受け入れる方式通りに、自然に展示との会話が繋がっていくことを想像していたようだ。

各作家に同一サイズのドローイングを一点ずつもらってプリントし、これを外大前のマックにあるテーブルに90度で直交するように設置する方法でどうかとメールをした。これが最終案になった。福士千裕との協議で、ハン・ジンの作品にあたる面は白紙で空けておいたことを明かす。

2。

-> 僕たちは結局ハン・ジンについて話、自分は福士千裕の作品「フードコートに4649」(2014)を思い浮かべていたため時々話を聞き逃す。

福士千裕という人の絵の展示です。それは歯医者さんの待合室で読んだマンガ、シール手帳、ダイエーのフードコート。プレステのポリゴンのすきまに落っこちたような、マサラタウンの柵の向こう側の草むらに入っちゃったみたいなもの。そういう絵かもしれないし、全然違うかもしれません。どうぞ一目ご覧になって下さい。
2013年 Aquvii TOKYOで開かれた個展<石ストーンねこキャット>で公開された福士千裕の作家紹介。

福士千裕とハン・ジンは、お互い異なる空間で各自90年代末〜00年代全般に形成された日本文化に浸かって育った。同じ時期のビデオゲーム、漫画(特に少年漫画)だけれど、ひとりは原産地で‘自国の文化’を楽しみ、もうひとりは‘日本発文化’を楽しんでいたところからはそのあと有意味の違いが作り出されているのだろうか。

日本と韓国で育ってきた事情は違うにせよ、アンテナを張っていてこういう作風になっていったHanさんや、こういった企画をすることになったKanさん、お二人とも私とは違う背景で今こういった活動をしているのが不思議です。でもゲームをして育った世代やインターネットネイティブの世代では当たり前のことなのかもしれないですね。今いる場所や育った場所がどんどん関係なくなって行っていると感じます。

福士千裕はクラッシュ・バンディクー、サルゲッチュのように〜ノスタルジックなローポリゴンとして記憶されている〜ゲームとクソゲーの影響について語る。作家本人の表現によると、「作り上げられた世界の中に自分が放り投げられている感覚がたまらなく好き」だという。彼女はもし店頭におまけで出されているクソゲーの箱があったら、それを宝物箱に思うタイプの人だ。ハン・ジンからは過去カプコンゲームのイラストを担当していた安田朗、KOFシリーズイラストで有名だった森気桜、それからDOAシリーズに登場する美少女キャラクターの影響が見られる。(彼女が同意するか分からないが、ハン・ジンは自分に影響を与えたイメージの出典やジャンル、名前を分類/保存するタイプではない。上に並べた例は彼の作品、一緒に交わした会話の中から類推した自分の推測である。)またはその他にも色んなイラストレーターの名前が想像できる。二人ともどこかで、いつか見たようなオリジナルキャラクターをたくさん作り出している。あの時期の「作り上げられた世界」に自分を投げてみたことのある人にとってこれはとても楽しいことだ。



(左)図版1:展示「ダンジョンDungeons」(2015)のinstallationの細部 | 写真提供:ダンジョン | 撮影:イホンジ

ハン・ジンは当時生産された強くてキレイな美少女キャラクターに自分を投影、ドローイングと絵画を制作する。手のひらサイズの紙もあれば、たまに100号のキャンバスに描くこともある。画面に呼び出されるキャラクターやストーリーは作家が幼年期から経験した家庭内の家父長制や宗教活動に関係している。空間413で開かれた「ドンジョン」二回目の展示を振り替えてみると、彼女の製作したa0サイズのポスター2枚が最初に目に浮かぶ。ひとつは対戦アクションゲームDOAの美少女かすみに似ているだれかが、闘志と怒りに満ちた目を吊り上げている。その隣のポスターは、作家自身に似たキャラクターが怒りで全身が赤くなったまま誰かに向かって戦闘の姿勢をしている。かなりがっちりした体つきだが、手の形をよく見ると攻撃よりは防衛に近い、多少引っ込めた感じがある。

ハン・ジンのインスタンスである類似〜対戦アクションキャラクターは、自分に不安 を与える秩序に向かい合って強い姿勢で立ち上がる。不安はかなり具体的な時空間の対象から発生しただろうが、作家はその時間から遠く離れてきたか、空間的に遠い所で生きている。もしくは問題が全然違う平面的次元に移られた。その他にも3981274924個の似た理由。たとえば家父長制の秩序は空気のように社会全般に広まっていて、‘自分を苦しめるが、捕まえることはできない’。そのため具体的な何かではなく、空気のような不安が製作の周りに常に漂う。形のない対象に明らか勝つことはできないことがわかった瞬間の敗北感、そこからくる‘空気’は韓国社会全般でいくらでも感じられる。ハン・ジンのキャラクターはこれに受動的に向き合うか左折する。もちろんたまにはこれに対する反作用から、放課後を迎えた中学生のように活気的な笑顔の動物を描いたり、どこかセクシュアルな感じの色が画面に出てきたりもする。

幽霊を呼び出してそれに対応する必然的な左折や遅延された不安を画面に描写する作品は数えられないくらい多い。ハン・ジンの作品は不安とそれに向き合う内側闘争の再現に焦点を合わせているというより、その前でキャラクタースキンをかぶって限りなく撮るセルフカメラであるところが面白い。作家は自ら呼び出した幽霊の前で負け続け、逃げ続けてきた自分をはっきりと自覚し、数多くのインスタンスハン・ジンを作り出してきた。極めて憂鬱なn番目のハン・ジン、もしくは極めて盛り上がっているn番目のハン・ジン。彼女のドローイングは主に湿気に弱い紙の上に描かれ、たまにポリーバックに包まれる。湿気は完璧に塞げた気もするけれど、実はぐちゃぐちゃになりやすい素材である。ビニールの内側にマーカーや絵の具で絵を描いたりもするが、この場合もビニールの内側と外側の区別は確実につく。ビニールはキャラクターの乾燥されるべき内面を表現するキャリアになる。これはオープンベタ空間、半地下1/2Fで開かれた個展「オールガズミックスクラップ Orgazmic scrap 」やカーモンセンターで開かれたグループ展「オートセーブ」でもそうであったように、あえてぐちゃぐちゃになった姿で展示場に現れたりもした。そういったハン・ジンのグラグラする歩行の連続を展示のタイムラインを通して確認することは去年の大きいな楽しみだった。この人たちが戦ったり、関係したりする「不安」は90年末~00年初期のゲーム/漫画の時空間とは関係ない。今のハン・ジン作家が生きている世界にかかわる問題である。しかしインスタンスハン・ジンたちは当時の対戦アクション美少女であったり、動物キャラクタースキンで現れたりして、二つの世界は多少ひびのあるまま結合する。

こんなことをいうとつまらない気持ちにさせてしまうかもしれませんが、私は比較的に恵まれた環境で育ってきた人間で、社会や家庭に対する大きな不満や個人的な大きな挫折のようなものが無いです。なのでこれまで自分が描いてきた作品の中にはそういうものは反映されてません。どちらかというと、もっと個人的な、どうしようもない部分やくだらない部分が反映されていると思います。自分の中で自信をもって言えることがないっていうのは多くの人がそうだと思いますが、私もその自信のない人間の一人で、でもなぜか作品は作りつづけている。なぜか?まだ的確に表現できる言葉を持ち合わせていないのですが、「やっていることと気持ちが空回りしている」ところや「何も考えていない」ところがひとつのキーワードなんじゃないかと思っています。それもわからないのですが・・。何だかナイーヴな答えですいません。ちなみに、漫画の内容もだいたいが延々そう言う感じです。なので、描かれているキャラクターの存在もHan Geneさんとは意味合いが大きく異なっていると思います。Han Geneさんの場合は自分を画面上でキャラクターとして描き出してその上で戦ったり苦悩したりしているのかもしれないですが、私の場合、自分の中に言うべきことが無いのでもっと個人的なしょうもない気持ちを大げさに言わせているっていうのが近いかもしれません。馬鹿馬鹿しい感じになっている気がします。私の感情の量と描かれるキャラクターの感情の量に差があります。やることは無いけど叫びたいような、どうしようもなさです。ゲームで言ったら、難易度Easyで早々にクリアーして、クリアー後の世界に放り出されたような気分です。簡単なのかもしれないことを、わざわざ難しく考えて一人で混乱しているといった感じです。

90年代後半~00年代全般はゲームがものすごいスピードで発展した。技術の発展、多様なシステムとジャンルの出現、ニーズの拡張。しかしこういった変化のすべてについていかなくてはならないという緊張感のせいで、一日中自分をその中に放り投げていた記憶が鮮明に残っている。そういうゲームはもうエミュレーターで動いたり、レトロゲームショップで発見されたりする存在になった。 福士千裕とハン・ジンはすでにぺちゃっこになったレトロゲームのメモリカードに自分の妄想を記入して生命をあたえ、ゲームをしつづけている。エンディングをみたあとにゲームが終わればよっかったことだ。そういったゲームを最初に知ったときには、エンディング直後にゲームの世界から飛び出される自分のことが悲しくてたまらないこともあった。でももう世界はゲームになり、だれかはいつか自分が‘放り投げられていた世界’の経験と‘生きていくことになった世界’をシンクロする奇妙なメモリカードになった。  

→ピア★のメロディーが流れる。

3。

→ミディアムコーラを仲良く2杯お代わりする。僕は「フードコートに4649」について話したかった。展示とリンクだけのものではあるが、ピア★放課後は通路に寄生しながらこういうチャンスを常に狙っていた。リンクを触っているうちに、イメージについて、そのあとリンクについてわかる。展示をめぐった何かが少しずつ高解像度に変わっていく。 福士千裕の「フードコートに4649」及び他何冊かの漫画は国内では正式に発売されなかった。インターネットでは購入できる方法があるので1、興味のある人にはぜひ探してみることを勧める。下の内容はちょっとしたスポイラー。
図版2:<プードコートに4649>表紙 | イメージの著作権は福士千裕にあります。

それは私がストーリーを考えるのがあまり得意ではないというネガティブな理由も少しありますが、基本的には描きたいシーンや描きたい絵を描き、言わせたいセリフをキャラクターに言わせて、やりたいことをやりたいだけやるということをしているからなのです。ただ、自分としてはいつでも大長編のストーリーの一部を書き溜めているんだという気持ちでいます。それはもしかしたらドローイングをしているときの気持ちと同じかもしれません。漫画を描いているときと、なにかドローイングしている時の気持ちを同じものにしたいからかもしれません。はっきりとは分からないです。曖昧なことがたくさんあります。
・福士千裕とガン・ジョンソクがピア★放課後で交わした対話の一部

ピア★放課後の初展「放課後マクドナルド~蚊とチーズバーガー2」に設置された作品「ぷ」は福士千裕世界の小さな短面を見せてくれる。作家の説明によるとこの絵は夢の島という所にある熱帯植物園を背景にし、中の通路である少年とおなかに‘ぷ’と書かれている使役魔のような生物が、何かの攻撃をうけている絵だそうだ。ポケモンの幅広い成功のおかげで、とりあえずはポケモンに似てみえる印象だ。しかしそういったコンセプトのゲームと漫画はポケモンの成功以来数多く製作されてきた。参考につながるリンクの‘時期’は大事であるが、具体的に何かであったかは大事ではない。 福士千裕の漫画はこういったシーンの連続だ。リンクの束になった人物、事物などが平面の上に置かれている。あなたは彼女が描く世界観からなぜか親密な感じがして、その世界の短編を積み上げていく中で世界の雰囲気のスケール、懸案などを予想することができる。


(右)図版3:<プードコートに4649>
P.28ー29
(右下) 図版4:同じ本、P.72-73
イメージの著作権は福士千裕にあります。

たとえば上で話した「フードコートに4649」を読んでみると、最初のページから102ページに至るまで、(すこしの例外を除けば)ページをめくるたびに上のようなシーンが広げられる。名前の知らない〜どこか親密でノスタルジックな〜キャラクターが登場し、何かの攻撃をうけたり、いきなり行動をとる。一体何かと戦ったり逃げたりするのかは(大体)描写されなく、毎回違うキャラクターの違う状況が展開される。類似〜使役魔が人物の隣で状況に言い付ける姿、独特で有能そうな人物たちが集まって何かを語り合っているシーンが繰り返される。失われたウェブの海、古いフードコートなどの場所を冒険する人物たちが出てきて、具体的な内容はないまま全体の雰囲気やスケールがふんわりと伝わってくる。世界を漂う人物たちの懸案はまだはかどってないか、たぶん存在しない。ただ彼らは成長していない世界で福士千裕というメモリカードを媒体に存在し続けている。あなたは親密な彼らに感情移入され1人称になり、自分のメモリをたどって画面の外側にある‘敵’や‘懸案’に向かい合う想像をする。

上のような描写をするとどこか寂しい感じがするけれど、実際全シーンには見所がたくさんある。ピア★放課後の展示ポスターや展示場で見れる作品「ぷ」のように、特定時期のゲーム、漫画を連想させるリンクの束になっているキャラクター、使役魔をみながらたどっていく楽しみ以上のものが存在する。たとえば幼いときの遊び経験を思い浮かばせる演出がある。何かのパズルを合わせる人物と、これを手伝おうとするが役に立たない意地悪ゆうれいのようなものだ。魔法や人術くらいは軽く使えそうな人物たちが出てきて子供のように何かに集中していて、ちょっとしたことにもお互いいばったり、戦ったり、探求したりしていく。福士千裕の‘ゲーム’の中に記入されたキャラクターの動作はちょっとした状況にもけっこう格好良くエニメートされる。相当のディテールがなんでもないかのように各ページに描かれる。

こういう世界を持続していける作家の力はどこにあるのだろう。単純に幼年代の思い出に閉鎖的に安否をたずねているのだろうか。「フードコートに4649」に載っているふきだしの中からこういって疑問は意外と簡単に解ける。

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22p

だいたい帰るとちゅうで歌いたかったの思い出す。

そうやって毎日あっちとこっちを行き来するのにもあきてもうずいぶん経った。

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31p

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55p

本当にSE(sound effects)が一つもない。人のSEも鳥のさえするSEも車の走SEも全部。

性別、種族、顔、髪型、job髪型や色はあとで変えることができるよ。

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67p

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72p

ここは、失われたホームページとか海です。

指定されたページまたはファイルは存在しません。

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71p

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76p

この間に何があったんだ。

一度決めた名前は変えられないんだわ。ごめんねそおゆぅ説定なの。

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83p

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89p

いいから 店長呼んでこい / 僕は店員では無い。

補助魔法なら死ぬほどかけてやる。

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101p

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79p

もうすぐラストバトルだわ。装備を確認しよう。

忘れられた‘ホーム’ではなく‘ホームページ’の海を漂い、ただ何かがあったことだけ把握できる世界。食べ物はないけれど、飲み物のディスペンサーは動いている(ダイエーの)フードコート。自由に変更できそうにみえるけれど、実際大事なことは変更できないという設定。こういった世界を漂っているうちに誰かはいつのまにかラストバトルを目に前に装備をチェックする。補助魔法だけは死ぬほどかけてくれるという言葉に即効で終わらせる約束をする姿。福士千裕を媒体にした二つの世界を間に発生する奇妙な場所を経験する読者には、どちらも一種のクソゲーで現れる。いつかは‘大長編’で整理された過去として今を振り返られるのだろうか。あの時ふたりの作家のメモリカードは大事な資料になるはずだ。

4。

→ ふあーよくもこんなにしゃべった。ピア★放課後のいい所は価格対比最高の快適感!ピア★放課後にまたいらしてください!

作成:ガン・ジョンソク
翻訳:Yona
写真:ギム・イクヒョン
提供:ピア★放課後

  1. fukushichihiro@gmail.comまたはtwitter@fukushichihiroに問い合わせ。またはホームページの案内を参考。http://zombiebi.web.fc2.com/http://5bangaimac.web.fc2.com/
  2. 五番街マックとは無関係です。